無意識さんとともに

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支配からの卒業〜私が私であるために 18 何でもいいよ

この頃、心に聞くと、「何でもいいよ」という答えが返ってくることが多くなりました。

それは、突き放した感じで言う言い方ではなく、本当に私のことを思ってそう言うのです。

私のブログを読んでいればわかると思いますが、どちらかと言えば、私は強迫性パーソナリティ障害気味です。

真面目、完璧、こうでなければならないとひとつのことを求めてしまって、柔軟性に欠けてしまう傾向があります。

だから、自己犠牲して、何かに殉じていう物語にハマってしまいやすいです。

もう、自己犠牲なんて真っ平ごめんだと頭では思うのですが、小さな頃に見たウルトラセブンの動画がYouTubeにアップされていて、ボロボロになってまで自己犠牲して地球のために戦うウルトラセブンが透明な十字架の中に入れられて息絶えてしまうシーンを見ると、思わず涙してしまいます。

そんな私だからこそ、心は、「何でもいいよ」と言うのかもしれません。

吉本先生がO先生に言われたように、例えば、ここから大阪に行く方法はひとつではなく、無数にあります。

でも、私は、一番、効率的な行き方を求めてしまいます。

『こう行って、こうしたら、最短で行ける』なんて考えてしまうのですが、それって何だか味気ないのかもしれません。

ぐるぐる回り道をして、無意識さんに聞きながら歩んでこそ、無意識さんともっと親密になれることもあるかもしれない。

あるいは、歩き疲れて、ふと茶屋に入って飲み物をいただきながら、目を向けるとそこに小さな花が咲いているのかもしれない。

最短で行ける効率的な行き方も含めて、本当に何でもいいのかもしれない。

無意識さんにあっては、例外なく、全てがゆるされているのかもしれません、何ひとつ残りなく。

そう思ってみると、いつの間にか、空と自分がスッと溶け合ってしまっているようなそんな感じがしてきたりすることもあるのです。