無意識さんとともに

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催眠の現象学136 依存ではない親密さ

「生きているというプロセスの多くは相互作用的である。単独では、それは進まない。私がここで述べているプロセスには他者の存在が欠かせない。他者とともにいてもらう必要と依存の問題は別物である。関係的プロセスを一人で生きることはできない。この記録のクライアントは、親密な関係がなくてもうまくやっていけることを今までずっと誇りにしていた。しかし親密な関係は依存ではない。それはむしろ人間に本来備わっているものであり、ある種のプロセスは関係的なもので、他者の存在がないと起こりえないのである。フォーカシングは一人で行っても非常に深くなりうるが、[人との]関係状況の中でのフォーカシングは、常により深く、一人の場合とは異なり、多様な変化と内容を生み出すのである。」

(ジェンドリン フォーカシング指向心理療法 上 p.243〜244 太字は私による)

 

今日、読書をしていて、この箇所は目から鱗でした。

私は、親密な関係は依存だと、うすらうすら思ってきたからです。

無論、そう思ってきたからと言って、親密な関係を望まないことはなく、親密な関係を求めては依存し、そうして、今度は、このクライアントと同じく、振り子の反対側に振れて、親密な関係を否定しては自分だけの世界に逃れ込んできたように思います。

けれど、ここを読むと、親密な関係は依存ではなく、依存ではない親密な関係があるということなのです。

まさに、これは青天の霹靂と言っても、私には言い過ぎではありません。

そして、フォーカシングにおいてさえも、私は自分ひとりでフォーカシングできればそれでいい気がどこかでしてきました。

自分のことは自分で満たす、それだけで必要十分だと。

もちろん、ここに「フォーカシングは一人で行っても非常に深くなりうるが」と書いてあるように、自分のことは自分で満たすということは否定されるべきではありません。それが否定されたら、それこそ、また振り子の反対側の依存ということでしょう。

けれど、それだけではないのです。

「[人との]関係状況の中でのフォーカシングは、常により深く、一人の場合とは異なり、多様な変化と内容を生み出すのである」

人とのフォーカシング、さらにフォーカシングばかりではなく、人との親密な関係は、より深く、多様な変化と内容を生み出す、つまり、豊かさを生み出すということなのでしょう。
こういう、依存ではなく、豊かさを生み出す親密な関係こそ、自分が求めてやまないものだと思わされました。

その求めは、本来、私に備わっているものであり、その関係的なプロセスは相手の存在との間で起こるからこそ、私にも湧き起こるものなのかもしれません。