無意識さんとともに

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催眠の現象学141 生きているそれ

「そんなこと、当然わかっています」


自分がどんなことを感じているなんて、当たり前のことのように思えてしまうんです。
だから、フォーカシングをやってみようという人は多くないのかもしれません

 

けれど、時折、フォーカシングに好奇心を持つ人がいて、まず、今ある自分のからだの感じを探ってみます。

 

「うーん、お腹のところに、何だか、黒いザワザワした不快なものがある感じ」

「黒い不快なざわざわ」

「そう、ひとつだけじゃなくて、小さなものが複数、ザワザワ動いている」

「小さなものが複数、ザワザワ動いている感じ」

「あっそうだ、ジブリの映画で見た、まっくろくろすけみたいな、目と手足もある」

「目と手足があるまっくろくろすけみたいな」

「こんにちは…こんにちはとわさわさ声が何重にもなって返ってくる」

「わさわさ何重にもなって返ってくる感じ…じゃあ、そのまっくろくろすけに『あなた自身はどんな感じ?』と尋ねてみるのはいかがでしょう」

「うん、そうね。『あなた自身はどんな感じ?』と尋ねてみると…えっ、『僕たちはみんなでおしくらまんじゅうしてぎゅうぎゅう楽しい感じ』って答えてる』

 

この人自身は、お腹に黒いザワザワした不快なものを感じていたのですが、まっくろくろすけみたいなそれ自身は、ぎゅうぎゅう楽しい感じと答えてきたんです。
自分のことはもう自分でわかってる、そう思っている私たちには、意外な、面白い、展開です。

実は、別の言葉で言えば、私たちのからだの感じは、それは生きているということです。
私たちの一部であるはずなのですが、それ自身、生きていて、それ自身の感じ方、感情、思い…があるということなのです。

私たちが自分で自分を思ったようにコントロールできない理由は、そういう、それぞれ生きているいろいろな私たちの部分が、私たちの中にいるからとも言うことができるかもしれません。

こういう生きているそれに気づくには、気づくだけではなく、そういうそれとやりとりするには、フォーカシングが最適な手段のひとつであるように思えます。

そうして、生きているそれとやりとりを続けていくと、これもまた面白いことですが、そもそも自分で自分の各部分を、コントロールしようとか、従わせようとか、都合のいいように変えようとか、そんなことがそもそも無理な横暴な試みであることがわかって、

ただただ、やりとりの中で、私も私の部分も相互にゆっくり自然に変化していくそんな変化を楽しむことができるようなんです。