無意識さんとともに

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催眠の現象学121 自分自身を満たす

この頃は、「自分自身を満たす」ことに集中しています。

「自分自身を満たす」とは、自分自身を養い育てると言い換えることもできます。

 

カウンセリングや人間関係で、人から満たされることはありますし、それを拒絶する必要はありません。

けれど、永久に、そういうカウンセリングや人間関係で、人に満たされ続けるというのはあり得ませんし、不健全なことであり、依存でしかありません。

そういう人から満たされることは、時折の特別なことであって、日常のことではないのです。

 

しかも、うちには、そういう人から満たされても満たされてもなおもっと渇いてやまないものがあって、その渇きは尽きることがないんです。

 

どうしても、自分自身で、「自分自身を満たす」ことが必要なんです。

 

ところで、ある人が教えてくれたのですが、自分自身を満たすとは、自分を抱きしめることでしょうか、それとも自分のご機嫌をとることでしょうか?

そういうこともしたことがありますが、これも一時的なもので、決定的に自分自身の渇きをとどめることにはならないようです。

 

自分自身の中の、体の中の、まだ言葉にならない感覚に耳を澄ませてみると、

そこには、モヤモヤだったり、重苦しさだったり、ざわざわだったり、いろいろなものがうごめいているのがわかります。

 

そういうものを、今まで、無視したり、追い払おうとしたり、心配とか不安とか恐れとか適当なラベルをつけて分析したり、コントロールしようとしてきたんです。

 

でも、正面きって、まともに向かい合って、彼らの伝えたいことを聞こうとしたことはありませんでした。

 

もちろん、そういうものの中には、外から入れられたもの、外からの影響もあるでしょう。

けれど、入れられたもの、影響を除いたとしても、なおうごめくものが確かにあるのです。

 

それらは、自分が切り離したあるいは切り離された、自分の一部です。

 

もしかしたら、自分が認めたくない、自分が大嫌いなものかも知れません。

それでも、一部であることには変わりないのです。

 

無理に認める、好きになる必要はないんです。

 

ただ、ちょっと離れて、不快にならない程度の距離を置いて、それらと一緒にいて、挨拶をして、声をかけ、彼らがどう感じているのか聞いてみるんです。

 

そうすると、彼らは、彼ら自身、私に伝えたいことを語りだすんです。

 

ずっと、長年の間、私は彼らを否定し続けて見向きもしなかったので、もしかしたら彼らの口は重いかもしれませんが、それでもただ、彼らとじっと一緒にいると、彼らはぽつぽつと話しだすんです。

そこには思いがけないことが含まれていたりします。

 

彼らの言うとおりする必要もないんです、ただ、彼らの伝えたいことをそのまま聞くだけでいいんです。

時に、彼らは擬人化されて、赤ちゃんだったり、少年だったり、少女だったり、乱暴な男性だったりします。

 

そんな、自分の一部である彼らと知り合いになって、友達になって仲良くしていくんです。

場合によっては、彼らは自分の言い分をもう十分聞いてもらったら、まるでもうこの世に未練がなくなった幽霊のように、成仏してふっと消えることもあります。おそらく、自分自身と統合されて姿を消したのでしょう。
けれども、それが目的というわけでもありません。

 

ただただ、自分の一部として、そういう彼らに時間を割いて、交流していくんです。

 

そんなことが今の私にとって、「自分を満たすこと」であり、自分を養い育てることのようです。

(ちなみに、こういうやり方はフォーカシングと呼ばれているとのことです)