「〜したいのに(あるいは〜しなければならないのに)、〜できない」というのは、よくあることかもしれません。
例えば、「本を読みたいのに、読むことができない」とか、「掃除をしたいのに、掃除できない」とか、「会社に行きたいのに、行けない」とか…
特に、最後の「会社に行きたいのに、行けない」というのは、私には覚えがあります。
鬱になり始めの時に、最初は、何とか会社に行っていたのですが、だんだんと、自分のデスクのところに座っていられなくなって、ついには会社に行けなくなってしまいました。
「会社に行かなければならない」と思って家を出て、電車には乗るのですが、会社がある駅が近づくにつれ、心臓の動悸が酷くなって冷や汗が流れてきます。
何とか駅で降りて、全力を振り絞って会社のビルに近づこうとするのですが、ビルにバリアが貼られているように、どうやっても近づけず、「会社に行けない」んです。
こういう葛藤を抱えている時、私たちは、「〜したい、〜しなければならない」という自分の一部分とベッタリくっついて同一化してしまって、「〜できない」という自分の一部分を切り捨て邪魔な存在のように扱って解離してしまっています。
だから、「〜したい、〜しなければならない」という自分の一部分とは距離を置いて脱同一化して、「〜できない」という自分の一部分とは一緒にいることで脱解離すれば言い訳です。
この2つの部分の中間のところに立って、どちらも認める時に、「〜してもいいし、〜しなくてもいい」となって、この葛藤またアクションブロックを解除することができるのです。
そのことをアタマでするのはなかなか困難ですが、フォーカシングを使ってからだの感じを感じながらすることは可能です。
こういう葛藤は、鬱であってもそうでなくても、ありふれたものですから、こういうアクションブロックを解除するフォーカシングのやり方は、応用範囲が広いと言えそうです。
フォーカシングで一旦アクションブロックを解除する経験をすると、そういう葛藤がまた起っても、葛藤自体を恐れる必要がなくなり、自分自身の中の内圧や緊張がものすごく下がるのを味わうことができます。