この3つのポイントを意識しながら、エレベーター呼吸をして、何となくこれらのポイントをクリアできるようになったのは、1か月に満たない頃でした。
その頃、つまり、始めて26日目になってようやく、三脳研で日誌を描き始めました。
「日常生活の中での自動思考は減ってきたように感じますが、エレコをやっていると纏わりつくように出てきます。
思わず、からだの内側をゴリゴリ擦るようにエレベーター呼吸をすると、消えていきます。」
エレコをやっている時の纏わりつくような自動思考というのは、それまでは感じることができなかった微妙な自動思考のことです。
生活の中での自動思考は明らかに減っていて、エレコの時にもっと薄いような自動思考を感じるようになっていたということなのでしょう。
まず、いきなり効果を求めるのではなく、量をこなして(この頃は90分から2時間エレコをしていた)形を整えることで、内実が現れてきたということだと思います。
そして、27日目。
「…ゴリゴリエレコをすると自動思考は消えて、昨日の寝る前は、腹部からエネルギーがからだを巡って、トランスに入った感じでした。この状態は心地よく、これをキープできればいいなあと。」
自分は催眠やレイキをやっているので、そういうことを感じやすいのかもしれませんが、エレコで軽いトランス状態や、エネルギーが腹部からからだを巡る感じを味わっていたようです。
28日目。
「…ふと、自動的に自分がエレベーター呼吸をしていることに気づきました。
これが今までやっている成果なのか…
同時に自動思考も全くなく、心は快晴でした。
ただ、帰りの駅から道、この自動的なエレベーター呼吸は無くなって、また自動思考が始まっていました。
自動思考ではなく、自動エレベーター呼吸になるように続けていきたいです。」
ここで、自動エレベーター呼吸を味わったことで、これが続いていくといいなという望みが出てきたようです。
その前にエレベーター呼吸自体がすごく心地いいものであることを味わい、次にそれが自動化することが可能ということを知って、心がぐいっとエレベーター呼吸に惹きつけられていったんです。
これが、量が形を整えて、形が内実を産み出し、量が質になるターニングポイントだったではないかと思うのです。
最初から、内実、つまり、心地よさやエレベーター呼吸の自動化を求めていたら、ここに行けなかったかもわかりません。
ただ、ひたすら、エレコをやったのが良かったのかもしれません
道元禅師が只管打坐と言われたように、只管エレコと言うこともできます。そうして、只管打坐がすでに仏の姿であるように、只管エレコはすでに右脳回帰であると言えるかもしれません(と思っていましたら、ある方が日誌ですでに只管エレコと言っておられました。)