無意識さんとともに

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催眠の現象学168 無意識の新しい捉え方

自分の無意識の捉え方が1から2へと変わってきているようです。

1 無意識を対象として捉える。自分が向かい合う存在。そうすると、無意識さんは自分とは違う存在で、キリスト教でいう神の位置になり、自分に何かをしてくれる存在となる。

2 無意識を本来の自分として捉える。そうすると、今と本来の状態がずれているとしても、自分であって、仏教でいう仏性や神道でいう分け御霊になり、本当は自分が何をしたいのか知っている存在となる。

どうして変わってきたのかと言うと、

ひとつには、1の捉え方に限界を感じたということにあります。
1では、無意識の知恵と力によって、少しずつ本来の自分に『なる』ものなのですが、どこまでも目標であってそれに到達することは難しい。その原因には、人間は破壊欲動(キリスト教で言えば原罪)があって、ちょっと近づいたと思えば、たちまちちゃぶ台返しが起り、振り出しに戻ってしまうように感じるのです。

ふたつめは、フォーカシングを通して、『からだに聞く』ということを知ったことにあります。

心に聞くと、『〜した方がいい、〜しない方がいい』と答えてきます。これは、まさに、無意識=心が私が向かい合う違う存在であることを示していて、まだ本来の私でない私はそれに従うことしか本来の私になる道はないのです。そこに葛藤があります。

しかし、からだに聞くと、『〜したい、〜したくない』と答えます。これには、葛藤も分裂もないのです。そして、『〜したい、〜したくない』のは、私以外の何ものでもなく、からだにある無意識=本来の私なのです。

みっつめは、自分に対してパーツセラピーをした経験です。

自分の中にいるいろいろなパーツ(自分のサブパーソナリティ)を発見し、親しみ、世話をしていくのですが、
そういう世話をすることができるのは、まさに本来の私であるセルフなのです。

そして、そういうセルフがあるという単なる物語ではなくて、いろいろなパーツとのブレンド(混ざっている状態)を解除していくと、実際に、セルフが現れたことが感じられるのです。

つまり、『本来の私になる』のではなく、もうすでに『本来の私はいる』のです。

それは、修行とか長い道のりとか深淵を見つめる厳しい内省とかが必要なのではなく、ただ、本来の私とブレンドしているパーツにブレンドを解除することをお願いしていくことで、経験することができるのです。