二重人格の神を、私は信じることができなくなってしまった。
もし、神がいるなら、愛そのものでなければならないのではないだろうか?
「神は愛である、愛のあるのものは神を知っており、愛のないものは神を知らない」と言われているのではないだろうか?
神が愛そのものであるなら、愛以外の目的で何かを創造するはずがない。
たとえ、エデンの園でアダムとイブが神に逆らって罪を犯したとしても、神は全能の愛ゆえに、必ず2人を救うはずだ。
いや、人間だけではない、すべての造られたものも、宇宙そのものも神は救うのではないだろうか?
それどころか、最終的に、悪魔さえも、全能の愛は創り変えるのではないだろうか?
この考えに、私は夢中になっていった。
そうやって、何よりも自分を救いたかったのかもしれない。
そういうことを言った人が過去にいなかっただろうかと思い、鬱の朧げな頭をなんとかしてフル回転させ、私は調べた。
すると、例外的に、そういう人たちは存在した。
ひとりは、シリアの聖イサク、彼はこんなことを書いていた、「私は神の愛ゆえに、悪魔のことを思って涙を流す。彼が救われるように涙を流して祈るのです」
また、もうひとりは、オリゲネス、彼は歴史の繰り返しの末に、悪魔さえも救われるという考えを持っていた。
もっとも、そんな二人とも、異端として見られることは間違いなかった。
それでも、それでも、私が、スパイという罪を犯した私が救われるとしたら、あの牧師に悪魔と言われた私が救われるとしたら、神が悪魔さえ愛し、悪魔さえ救う全能の愛である以外にないのではないだろうか?
そういう考えは、私の心を幾分軽くした。
そのためか、私は最終期限の前に、何とか、会社に復帰できるようになった。
復帰しても、一日中、机の前に座っていることは難しかったけれども、それでも、何とか復帰できたのは、間違いがなかった。
日曜日になると、私は相変わらず、3人、つまり、田中兄弟、成島兄弟、藤堂姉妹と、カラオケで礼拝をした。
そのうち、私は、この自分の考えを黙っていることが苦しくなってきた。
そんな秋のある日、カラオケの一部屋に、私たちは集まっていた。
なるべく人のいない午前の早い時間を選んでいるとは言え、他の部屋からは客が歌う歌が聞こえてくる。
それでも、こんなカラオケにも、秋の透明でひそやかな空気が入り込んできているのを、私は体に感じていた。
「今日も始めようか?」
私がそう言うと、彼らはまるで学生のように一斉に頷く。
私はそれに答えて、祈り始めた。