無意識さんとともに

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催眠の現象学143 内省

自分なのか、人なのか、誰かを責めずに内省することができなかったんです。

もっとも、自分を責めたり、人を責めたりしては内省ということは言えないんです。

内省とは、自分も人も責めずに、透き通った目で自分のしたことや自分の歪みを見ていくことだからです。

自分も人も責めないで、自分を直視すると痛みが起こります。

その痛みに耐えかねて、またも、自分を責めたり、人を責めたりしたくなってしまいます。

だから、今まで、自分では内省しているようでも、実は内省になっていなかったのかもしれません。

ところが、フォーカシングしていくらか経験を積み重ねた今は、何とか、痛いのですが、やっぱり痛みから逃げたくなって自分や人を責めたくなってしまうのですが、ギリギリ内省ができるようになってきたようです。

どうやら、フォーカシングをして、自分の部分部分の私との関係が緩んだことが原因のようです。
そうして、内省せざるを得ないきっかけもありました。

あるきっかけを通して、半ば自動的に内省が起こり、いろいろなことが心の奥底から浮かび上がり、今までそれらのことを自分を責め、人を責め、あるいは自分の個性として考えないようにしてきたのですが、内省の光で全く違うように見るようになったのです。

これは、冗談ではない激しい痛みが伴いました。
今まで内省だと思ったものが全く内省ではないとはっきりわかるほどの痛みです。
例えば、思い浮かんだことのひとつは、昔、教会で、まだ私が青年だった頃、ある中年の女性に、「あなたはコミュニケーション障害があるから、私がお金を出してあげるから、講座に行ってきたら?」と言われたことです。

私は何でそんなことを言うのかと憤慨し、傷つき、恨みに思いました。
そうして、その女性がおかしいのだと片付けて、自分にコミュニケーション障害があるかどうかは全く考えないようにしたんです。
でも、内省の光が当たると、その女性のことがどうのこうのではなく、確かに、あの時もそして今も、自分はコミュニケーション障害がある、

違う言い方をすると、アスペルガー、あるいはASDとしての発達障害の症状を持っていると言うことなんです。
他にも、山のような、人間関係のトラブルを思い出して、私は自分のせいか、人のせいか、あるいは自分の個性だと思ってきたわけですが、

そういうことではなく、これはアスペルガーの症状であり、自分はこのことに向かい合う必要があることがわかったのです。

もちろん、アスペルガーASDを知識としてわかっているつもりでしたし、自分にそういう傾向があることは頭では十分わかっているつもりでした。

しかし、白日の光のもと、過去から現在までのいろいろなことが、自分のアスペルガーによるものだということを、激しいショックを感じつつも、まざまざと見たんです。
もう、このことから逃げるわけにはいかないようなんです。