ハコミセラピーの個別セッションを受けてきた。
1回目は自分の全般的なことを話し、2回目がいよいよ具体的なことを取り扱った。
以下は、記憶で書いているのでこの通りではないし、全部書いているわけでもないけれど、こんな感じ。
まず、こんなことを話した。
熱田神宮をお参りして、原罪思想など自分の中のキリスト教的価値観が解体している。前は、すべてのことが白黒はっきりしていたのが、すべてのことがまだら模様に見えている。
それは、もうこれがいいとか悪いとか裁くことがなくなったということでホッとするような、解放された気持ち。少し前に感じた、『人間っていいなあ、尊いなあ、人間に生まれてよかった』という思いがますます強くなってきている。
けれど、同時に、反面、人・自分・世界について先行き、見通しがつかない感じ。前ははっきりしていたことが消えたので、どちらに足を進めていいか判断がつかない感じ。
「どこを掘り下げたいですか?」
「ちょっとわからないです」
「僕の感じでは、解体・変容が起こっていて、その着地点を知りたいという…」
「そうです、そんな感じかもしれません。」
…
そうして、マインドフル状態に入って、プローブ(言葉を投げかけることで、心や体に起こってきた反応を見ていく)。
「自分の正直な気持ちを言っていいんですよ」
…
「実は、もうプローブを聞く前に、女性の映像が浮かんで『裏切り者!』って言っているのが浮かびました。」
「その女性の顔と声に注意すると…どんな感じですか?」
「胸が痛いです」
「その女性に見覚えはありますか?」
「母と前の妻が混じっているような」
…
「妻はクリスチャンで、私の鬱が治るように必死にお祈りしてたんです。けれど、そう簡単には治らなくて…私は一日中眠ってばかりで、時折、ものすごく空腹になってあんぱんを一緒に買いに行って…
けれど、妻がいきなりキレてアスファルトの道路に結婚指輪を投げて足で踏みつけて、『こんなに愛しているのに、こんなに愛しているのに』と…』
…
「今、彼女とあなたの間には…」
「厚い壁があるようです」
「どんな壁?」
「灰色で、血が混じっているような」
「どんな厚さ?」
「手で示す(40センチぐらい)」
「それをしばらく見てみましょう」
(セラピストは、私が次から次へとイメージに飛び移るのではなく、感覚にとどまるように促す)
…
「何か、壁に穴が開いて、こちらを見ています…ちょっと怖い」
「どんな表情ですか?」
「白目がない真っ黒な目でこちらを見ています」
「近寄れるなら近寄って、自分の無理のないように」
「近寄ってみます」
「何だかちょっと笑っています…あっ、人間の目じゃない、クマ、テディベアのクマです(自分が小さな頃、大切にしていて、後で親に捨てられたぬいぐるみのクマ)」
「よく見てみて」
「何だか、急にホッとする感じ(自分の目から涙が流れているのを感じてる)」
「その感じをよく味わってみましょう」
…
「クマが穴に手を突っ込んでこちらに手を伸ばしてきています」
「どんな手ですか?」
「ふわふわして、毛がむくむくしていて心地いいです」
「何か言っていますか?」
「こっちにおいでよ」
「…行ってみますか、それともこちらにいる…?」
「手をとって行ってみます」
手をとって行ってみると、そこは光がさしている明るい部屋だった。
誰かいて、紙コップがテーブルの上に置かれていて、温かいお茶が注がれている。
「クマはどこにいますか?」
「どこだろう?…ああ、棚の上に大切に置かれている…よかった、捨てられていない」
「そこにいるとどんな感じですか?」
「あったかい…そして、心の中の母と前の妻の顔がどんどん小さくなって…消えました」
「そこにいる人はあなたに何か言っていますか?」
「何でもいいじゃん…何でも、思考でも感情でも感覚でもそのまま認めてよしよしすれば」
「僕もそう思います…じゃあ、今のこの感じをじっくり味わって…」
かなりして(実際にはそんなに経っていなかったが)、目を開けた。
『何でもいいじゃん…これでいいじゃん』、その言葉がキラキラと自分の中にこだましていて、自分は自然の一部なんだっていう気持ちが風のように吹き抜ける感じ