無意識さんとともに

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聖人A 4 献身

僕は自ら、牧師か伝道者になろうと思った。

それから、しばらくして、教会に有名な伝道者がやってきた。

日曜日の午後に、伝道会(教会に来たことのない人を招いて、回心者を募る会)をすると言う。

さすがに、妹は家に帰り、祖母がその間、面倒をみることになった。

僕は、母と一緒に出た。

折りたたみのパイプ椅子も並べられて、教会堂はいつもより人がいっぱいになっている。

会の前半は、伝道者の自伝映画。

小学生の僕には、ところどころわからなかったが、お金持ちの家に生まれた主人公が、女性が物として扱われていることに憤り、さらに自分の境遇に矛盾を感じ、ついにはキリスト教に回心し、伝道者を志すというものだった。

ぼくはその映画を見ながら、まるで主人公が自分自身であるかのような錯覚を覚えた。

もちろん、僕の家は、少なくとも今は、裕福ではない。けれども、母が朝から晩まで働いて、そして、教会以外の世界ではゴミのように軽んじられていることを知っていた。だから、まるで主人公と自分が重なるような気がしたのかもしれない。
もちろん、まだ洗礼さえ受けることのできない自分が牧師や伝道者になる資格はない、だが…

映画が終わると、伝道者は、福音(よきおとづれ、具体的にはキリスト教を信じて回心することの勧め)を情熱的に語った。

「主イエス様は、ご自身は神と等しいお方であるのに、天の玉座を捨てて、人の子となり、あなたを愛して、あなたのために、あなたに代わり、あなたそのものとなって、十字架につけられました。このイエス様の十字架から目を背けて、なお、罪の中に生きようとするのですか?」

語りながら、滂沱と涙を流していた。

まるで、催眠術にかかったように、教会に来るのが初めての人たちが、ふらふらと前に出て行って決心を表していた。
これだけだったら、いつもの礼拝とそんなに変わらなかった。迫力には大きな差があったけれども。
それから、伝道者は言った。
「皆さん、あなたも、主イエスの弟子として、主イエスと同じくびきを負い、主の御言葉を伝え、人を漁る伝道者、牧師になろうではありませんか?生涯を神に捧げようではありませんか?
そういう神から特別な召命を受けた人は、手をあげてください」

これは献身の招きと言われるものだった。この招きに応じた人は、伝道者や牧師になる決意をして、この世界で富や成功を得ることを捨て、貧しさと清さのうちに生きることになる。
大人しかいなかったが、誰も手をあげようとしなかった。

それが容易なことではないことを知っていたから。

けれど、僕は、小学生の僕は、まっすぐに、力強く、手をあげた。

皆が、あれほど祈って願っていた母でさえ、驚いたように、僕の方を見た。