無意識さんとともに

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自己犠牲の人とエネルギーヴァンパイア

(ナラティヴで書いています)

自己犠牲をする人は、まるで蜜を滴らせる樹木のようだ。

その蜜を吸いに、多くの虫が寄ってきて、蜜を吸う。場合によっては、もう蜜が出ないのに、もっともっと蜜をせがまれて、蜜を与え続け、ついには生命の源である蜜を与え尽くし、自分を枯らしてしまうこともあるかもしれない。

自己犠牲をする人にも、エネルギーを吸いに多くの人(エネルギーヴァンパイア)が寄ってくる。自己犠牲する人は、それが相手を癒すことになると思い込んで、自分のエネルギーを与え続ける。なぜなら、エネルギーヴァンパイアは満足そうな顔をするので、それが自己犠牲する人に喜びを与えてくれるからだ、自分も人の役に立っていると思わせるからだ。

その喜びが麻薬のように快感を与えてくれて、ついには自分の存在が摩耗してなくなるほどに相手に与え尽くしてしまうかもしれない。

たとえ、そうなってもかまわないのだ、そうすることで私は、相手を永遠に救うことのできる神になれるのだ、ほら言っているではないか。

「一粒の麦、地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、もし死なば多くの実を結ぶべし」

甘美な響きである、甘美すぎる響きである。

たとえ、自己犠牲をそこまでしてついには祭壇に自分を犠牲の子羊として、我が身を捧げるということまでまだいっていなくても、
自己犠牲の人がエネルギーヴァンパイアにエネルギーを吸われると、蜜を滴らせる樹木が蜜を吸う虫に自分の卵を産みつけられるように、エネルギーヴァンパイアの魂を入れられる。

そうして、自己犠牲の人は、もはや自分の人生ではなく、エネルギーヴァンパイアの人生を歩んでいく。

無意識さんは言っているのかもしれない、

「あなたはそういう生き方をするために生まれてきたの?
そう望んでいるならいいかもね。
けれど、別の生き方、別の選択肢もあるかもしれないよ」