わたしがオムレツ作りに集中している間も、ママはずっと寝込んでいた。朝食は、わたしが作って、洗い物をして、出て行く。学校から帰ってくると、やはり、ママは寝ていた。朝食だけでなく、夕食も私が作ることが普通になった。
前も寝込むことは多かったけれど、ここまではなかった。何だか、力という力が全部、抜けてしまって、ママの残骸だけがそこにあるような感じだった。「ママ」と呼びかけても、2回に1回は反応がない。
心療内科に行って、診断はしてもらっている。鬱病だそうだ。そして、山のような薬をもらってきて飲んでいる。
けれど、いっこうに良くなる気配がない。
学校からの帰り道、怜にママのことをふと漏らした、ママの様子や病気のことも。
「幸子、1度、お母様を連れて、わたしの父にお会いにならない?」
「怜のお父様は、お医者さんなの?」
「いいえ。けれども、たぶん、お力になれると思うわ」
何でも、怜のパパは、大学の教授をしていて、心理療法を研究しているそうだ。そうして、仕事場が隣の市にあるそうだ。
隣の市?それって、うえっちの住んでいる東村山市!
わたしの胸は何だか高鳴った。
でも、ママは、ほとんど家を出ようとしないのに、わざわざ、怜のパパに会いに行くかしら?
けれど、そんな私の思いは杞憂に終わった。
「ママ、怜のパパが大学の先生をしていて、心理療法を研究しているんだって。お力になれるかもしれないから来てみたらと怜が言っていたんだけど」
「ええ、行くわ」
あまりにあっさり言うので、わたしの方が驚いてしまった。
「本当にいいの、ママ?」
「ええ、本当」
ママは笑った。この頃、ママが笑うところを見たことがなかったので、涙が出るほどうれしかった。
なぜか、この話をしてから、行く約束のその日まで、ママは急に元気になって、朝もちゃんと起きてくるようになった。わたしが帰ってからも、ママは起きて、本を読んでいる。
『もしかして、もう心理療法の効果が始まっているのかな』などと、つい、いい方に考えてしまう。
おまけに、うえっちに偶然、会うこともあるかもしれないなんて、考えて、わたしも何だか元気になったような気がした。
前の日に、ママと駅ビルにお持たせのクッキーを買って、準備した。
そして、桜の蕾が出始めたある日曜日、ママとわたしは、秋津駅から西武線池袋線に乗り、所沢駅で新宿線に乗り換えて、久米川駅で降りた。
久米川駅の北口の改札口で、怜と待ち合わせしていた。
怜は藤色のワンピースを着て、改札口の右に立っていた。
そして、ママとわたしを見ると、お辞儀をした。
「お母様、藤堂怜と言います。いつも、幸子さんに仲良くしていただいています」
ママは顔を少女のように赤らめて、言った。
「幸子の母です。いえいえ、よく怜さんのことを幸子から聞いています。幸子と仲良くしてくれてありがとう」
ママは怜がすっかり気に入ったようだ。