大空を1匹で飛んでいる鳥を見る時、人はさまざまな感じ方をする。
『ああ、何にも縛られずに、ほんとに自由だなあ』と感じることもあれば、
『ひとりぼっちで飛んでいてどんなに寂しいことだろう』と感じることもある。
今度は、大勢の人に囲まれている時に、よく知っている友達の中にいる時に、
『自分は何だか一体感を感じて幸せだなあ』と思えることもあれば、
『友達の中にいて孤独なんて感じるはずはないのに、何だか孤独だな』と思うこともある。
してみると、寂しさとか孤独感とかは、ひとりでいるから感じるものでもないし、大勢でいるから感じないものでもない。
人間は、本来、無だから、何も感じていない。
それなのに、寂しさとか孤独感とかはどうして感じるのだろう。
りんごは引力があるから、木から地面に落ちる。
同じように、支配という引力がある時、落ち込んで寂しさや孤独感を感じるのかもしれない。
ふだん、私たちはそんな引力があることなど感じていない。
けれど、ニュートンが木から落ちるりんごを見て万有引力を発見したように、私たちも心に支配や邪魔の排除をお願いして支配や邪魔が揺らいだ時に寂しさや孤独感を感じて、支配者の支配という引力が自分に影響を与えていることを知るのかもしれない。
さらに、支配や邪魔の排除をしていくと、まるでりんごが落ちないで宙に浮いているように、もはや落ち込んで寂しさや孤独感を感じなくなっていく。
宙に浮いているりんご、寂しさや孤独感のない静かな凪の世界、不思議な光景。
でも、それが本来の私たちなのだと思う。
その時、私たちはひとりきりでいても、ふたりでいても、大勢でいても、もはや寂しさも孤独も感じることはなく、ひたすら自由を呼吸しているのかもしれない。