その後、ゼロ歳児の自分に毎日のように会いに行っては、抱いて、ミルクを飲ませたり、オムツを取り替えたり、いないいないばあをしたり、こちょこちょくすぐったり…していました。
赤ちゃんは最初の頃はぐったりしていたのですが、だんだん元気になって笑顔を見せるようになり、抱いていても腕の中で伸びをしたりするようにもなり、そのうち、ハイハイするようになったり、(成長したのかどうか)ものいつかまって歩き出すようにもなりました。
そうしている時、今度は、もうひとりのエグザイルに出会うことになったのです。
ある人と、カウンセリングと催眠の練習をしていた時のことです。
急に、自分の心の中に、カメラをぶら下げて、眉根を皺を寄せて、つまんなそうにしている男の子の姿が出てきました。
実は、以前にもその子が出てきたことはあったんです。
今は思い出せませんが、何かショックなことがあった時に、口から言葉が出てきたんです。
「おじいちゃんにもらった僕のカメラどこ?あれは僕のただひとつの宝物なんだよ。ねぇ、どこにやったの?」
そうして、その子の姿が心のスクリーンに浮かんだのです。
同じ子が浮かんできたんです。
あらためて、自分でパーツセラピーの時に、その子に会おうとすると、
この子は、右胸のマッチ売りの少女さん(後に、ようこさんという名前だとわかる、あたたかい交わりに飢えている女の子)が守っていることがわかりました。
ようこさんの許可をとって、5歳の子に会いに行きました。
広い八畳間に、座敷机があって、その前にポツンと座っています。
この頃は、家がまだ裕福な頃のはずですが、何だかとっても寂しそうです。
…
この子に話しかけると、背中をプイッと向けて答えてくれません。
何度も何度も話しかけて、「⚪︎⚪︎ちゃん」と自分が小さな頃に呼ばれていた言い方で話し変えると、ようやく、背中を向けたまま、答えてくれました。
「なんだよ」
怒った声でした。
「今さら、放っておいてなんだよ」
さらに大きな声で怒りを滲ませて答えます。
「お父さんも、お母さんも僕のことなんてどうだっていいんだよ」
…
そんなこの子が何だかかわいそうになって、辛抱強く、話しかけます。
すると、家は裕福であっても、この子は放置されていて、ただおじいちゃんだけが自分を構ってくれて、優しくされて、自分のことを気づかってくれる、そんなふうに感じているようなのです。
おじいちゃんにもらったカメラだけが心の支えなのですが、時折、どういうわけか、そのカメラさえも母親に隠されるようなのです。
私は、毎日、0歳児の赤ちゃんとともに、ようこさんの許しを得て、この子に会いに行きました。
話をして、一緒に遊んだり、カメラで写真を撮ったり、撮った写真をアルバムに整理したりしたんです。
ある時、この子は、フーッと大きく息をしたんです。
今まで、ガチガチに固まっていた緊張が緩んだようでした。
眉根にあった皺もなくなったようでした。
「おじちゃん」
彼はいつも、私のことを心待ちにしてくれるようになったんです。