小説 聖人A
僕は、それから、自分でもわからないままに、四谷のI教会に足を運んだ。 ミサに出たのではない。 人のいない時間に行って、ただ長椅子に座っているだけだ。 けれど、毎回、毎回、赤ランプのところから力を感じる。 僕の心は決まっていた、あとはそれを実行に…
「あの赤いランプのところには、ホスチリウムが置いてあるのです」 「ホスチリウム、何でしょうか?」 「キリストの体に変化したホスチアを入れておく場所です」 「ホスチアっというのは?」 「薄いウエハースみたいなものです、ほら、プロテスタントでいう…
僕は、教会の皆の反応の薄さに、心底、がっかりした。 そんな時に、僕より遅れて帰国した大橋さんから連絡があった。 「一度、会いませんか?四谷のI教会の御堂で、待ち合わせましょう」 何でわざわざ、教会の御堂で待ち合わせを言ったのかわからなかったが…
僕がトロントを発って、日本に帰る日は迫っていた。 大橋さんは興奮気味に僕に言った。 「これはすごいことだよ、アンに祈ってもらうこともごく稀な貴重なことなのに、佐藤君に与えられた預言はね。もしかしたら、君には、本当に聖人への道が与えられている…
僕は、昔、たっちゃんに皆の前で自分の性的な罪を暴かれたことを思い出した。そうして、身体がガタガタと震えてきて、冷や汗が背中を伝わって流れる。 ”You have been chosen as vessel of Holy Spirit." ただでさえ慣れない英語が、もう混乱して耳に入らな…
僕が午前1時に行くと、さすがに普段よりも人は少なかったが、それでも500人ぐらいの人はいた。 入り口を入ったところの右側の売店前で、大橋夫妻と待ち合わせていた。 「こんな時間に集まる人は、本当に熱心な人だけだろうね。何でも、執りなし手の女性は世…
僕は大橋夫妻と親しくなった。 お金がなかったから、僕はカロリーメイトを食べるか、教会でやたら大盛りのトマトソースのマカロニを食べていたのを、気の毒がって、大橋夫妻は僕に世界で1番おいしいと看板に歌っているポークリブを奢ってくれた。僕は、それ…
前の方の席に座ることは諦めて、僕は一番後ろの方の席に座る。 『聖霊が本当に神様なら、位置が前とか後ろとか関係ないはずだろう』 そう思ってみるものの、何だか残念なような気がしてならなかった。 『明日の朝の集会は、始まる1時間前には来なきゃ』 「…
”COME, HOLY SPIRIT!”(聖霊よ、来てください) ヒッピー風のその人は言うと、僕は上から何か力が降ってくるのを感じて、立ったままジャンピングし出した。 そして、そのまま、床に倒れ込んだ。 そうすると、彼はさらに、倒れている僕の上方に手をかざして言…
空港に着くと、僕はカールトンプレイスという教会近くのホテルに行くために、タクシーに乗った。 頭にターバンを巻いた大柄のドライバーだった。 僕が場所を告げると、急に、豪快とも不気味ともどちらにも取れるような大声で笑い出したので、僕はどこか変な…
裸で全ての人の罪を負い、嘲られ、罵られ、十字架に付けられたイエス、そのお方に僕は引きつけられ、そのお方のようになりたいと願った。 というか、僕は松沢さんから逃げ出した時点で、僕はもうこの世に居場所がない、そんな気がしていた。 僕に、残された…
もはや、僕には神様がいるのかわからなくなった。 松沢さんをクリスチャンにしてほしいと、あれほど祈ったのに何で聞いてくれなかったのか? いや、その願いはかなわなくても、神が本当に全知全能なら、僕は誘惑に屈しなかったのに、何で校舎の裏のあんなシ…
僕は、松沢さんを置いて逃げ出したが、それでも松沢さんのことを諦めることはできなかった。 松沢さんに謝ろうとしたが、彼女は僕を無視するようになった。 加藤さんという松沢さんと僕の共通の知り合いに相談した。ただ、僕は起こったことを言うことができ…
ある日も、松沢さんと一緒に帰っていた。 「ねえ、これから多摩湖に行かない?」 「今から行ったら、かなり遅くなっちゃうよ」 「私は構わないけど、優君は困るの?」 まるで、ネズミを前にした猫のような顔で聞いてくる。僕は何だか、頭が痺れてきてしまう…
藤沢さんは、急に僕に冷たい態度を取るようになった。僕に対して人のいい笑顔は消えて氷の視線で見られるのは辛かった。 もちろん、それだけではない。 藤沢さんが言ったのかどうかわからないが、クラスのみんなが僕を無視するようになった。 もちろん、僕に…
福岡君とのことは僕にとってショックだった。 僕は、教会ではうまくやれるようになったし、神谷先生の再来とまで言われて自信を持つようになっていた。 あれほど僕を悩ませた性的な妄想もぴたりとなくなっていた。 僕は愛に満ちた清い存在になったような気が…
僕は、福岡君にキリストの愛を伝えなければならないと思った。 福岡君自身は、僕がクリスチャンであろうと、それを気にしているような態度はまったく見せなかった。 もちろん、キリスト教に関心を持っているようにもまったく見えなかったが。 ある日も、彼は…
高1の時、僕には福岡君という親友ができた。 彼とは何でも話すことができた。 福岡君の親は自衛隊の幹部らしく、割と裕福だった。もっとも、母子家庭の僕からしたら、ほとんど誰も彼も皆裕福に見えたのだったが。 映画や音楽を愛好していた。僕は映画館に行…
僕は、牧師見習いとして、教会で説教するようになった。 最初のうちは、説教する聖書の箇所を100回ぐらい、暗記するほど読み込み、註解書と呼ばれる聖書の参考書をたくさん牧師に貸してもらって研究し、ノートを作って、ガチガチに緊張して皆の前に立って、…
そのことがあった後、僕は、いつも、自分のすぐ右に誰かがいるようなそんな感じを覚えるようになった。 神谷先生はテープの中で言っていた。 「『見よ、わたしは世の終わりまであなた方と共にいる』と。このわたしは誰ですか? 一切の罪に勝利し、あなたとい…
女性が先立って入り、パチンとライトをつけた。 明かりがつくと、昼間なのにカーテンは完全に閉められており、6畳ぐらいの洋室のフローリングの中央に、直接、布団が敷かれていて、たっちゃんはパジャマ姿で向こうを見ながら座っていた。 あたりには、『敵…
僕は、神谷先生のテープを、貪るように次から次へと聴いた。 そして、聴けば聴くほど夢心地になっているかのように感じられた。 それだけではない、僕も神の底知れない愛を知ったのだから、僕も徹底的な愛の人になろうと決心した。 そんな時、またたっちゃん…
少し高めの声が語り出す。 「聖書には、『神は愛である』と書いてあります。神は徹底的な愛なのです。この神以外にどこにも愛はない。愛は私たちのうちにはない、ただ神のうちにだけあるのです。 けれど、神の怒りについてお聞きになったことがおありになる…
僕は、ショックで、教会はもとより学校にも行けなくなった。 ほとんど部屋に引きこもって、布団の中に潜り込んでいた。 自分は神に呪われている、そういう感じが否定しても否定しても、湧き上がってきてしまう、たっちゃんの冷笑した顔と共に。 母は、最初、…
たっちゃんは、僕と目が合うと、にこやかに微笑んできた。 けれど、僕は心臓が鷲掴みにされたようで、寒気がしてくる。 たっちゃんは、僕と同じ中学生のはずなのに、真っ白なスーツの上下に身を包んでいた。 さらに、後ろについてきている小中学生たちに合図…
そんなある日曜日、教会にも行かないで、僕は家でごろごろとしていた。母と小学生の妹は、もちろん、礼拝に出かけている。 手持ちの本も漫画も読んでしまった。面白いテレビ番組もない。 テレビの脇に置いてあるマガジンラックの中に、キリスト教雑誌が無造…
僕は流花ちゃんの手を取って、そのまま公民館を出た。 けれども、まだ小学校6年生の僕たちが行けるところなどたかが知れている。 『僕たちが大人だったら…、このまま、ふたりでどこかに逃げてしまうのに』 大変な状態なのに、いやむしろ大変状態だからこそ…
『アナテマ』とは聖絶、また呪われよという意味である。 旧約聖書によると、神はカナンの地に入ったイスラエルの民に、神は自分を信じない異教の民は男も女も子どもも容赦なく残らず殺せと言ったという。 そのことが聖絶と言われる。 そうして、キリスト教が…
教会は、僕にとって、生き地獄みたいなところになったが、流花ちゃんがそこにいると思うと僕は何とかギリギリ行くことができた。 『流花ちゃんは僕を赦してくれた、流花ちゃんは僕に怒っていない』 その思いが一服の清涼剤のように胸の中に広がる。 あの告白…
「優君、大丈夫?」 流花ちゃんは、黙っている僕を心配そうに見つめる。 あんな汚らわしいことを流花ちゃんにした僕を嫌わずに話しかけてくれるのか? それだけで、僕は号泣したくなった。 「立花さん、僕は」 心の中では、流花ちゃんと呼んでいたが、そう口…